スピリチュアルどこまで信じる?

 


私は今、気分の谷間にいて

霧がかかったみたいにモヤモヤしている。

 

 

でも、久しぶりに感じる谷の気分も悪くないと感じている。

 

 

いい時があって悪い時がある。

悪い時があるからこそ、いい時を感じられる。

 

 

それを知っているから、

今この悪い時をしっかり感じ切りたいと思える。

 

 

 

最近スピリチュアルの動画を見ていたけど、

そこで言われているのと

私の考え方は反対になる。

 

 

理屈っぽい私には

浮ついた宇宙の話より地に足のついた地球的な真理の方が

腑に落ちるのだ。

 

 

イヤな気分、モヤモヤする気持ち、そんなものはどんどん捨てて

常に自分の波動を上げておかないと願いは叶わない

そうスピリチュアルは教える。

 

 

それが宇宙の真理らしい。

 

 

この宇宙の真理を実践して

どん底から這い上がり、望む者を手に入れた、と

YouTube配信している人が言うのだから、説得力はある。

 

 

だから、ちょっと興味がわいて

お試し気分で、波動を上げる音楽や音声を聞いてみたところが、

今この結果。

 

 

それに不満はないけど、まぁこんなものだろうなと思った。

 

 

いい事と悪いことが交互にやってくるのが自然な流れで

いつも波動を上げていたら、良いことしか起きない

なんてことは絶対にない。

 

 

ただ、悪いことを悪く受け止めないで、

なんでもプラスに変えて受け取ったら

理論上はいい事しか起きていないことになる。

 

 

でも、それでは自分を騙していると思う。

 

 

 



 

 

最近の脳科学の研究では、パフォーマンスを上げる目的で

脳を騙すのを良しとされているから、

自分を騙すのも間違いではない。

 

 

ただ、そのやり方が自分に合っているかどうか、

それに尽きる。

 

 

私にとって、落ち込まないということは

気を抜く暇がないということで、

常にテンションを高く保つということだ。

 

 

それでは、正直疲れてしまう。

 

 

 

なんかやる気出ないなぁ、とか

自分のこれまでは何だったのかなぁ・・と落ち込むのも

いいガス抜きなのだ。

 

 

だから、今回も落ちた状態のまま、

静かに充電されるのを待っている。

 

 

このあと、気分が

飛んでもなく高い所に登るとは思わないけど、

いつもの高さぐらいには戻って

 

 

そうしたら、また

嬉しいことがやってくるのがわかる。

 

 

自分に出来ることをしながら待っていれば、

必ずその時は来る。

 

 

これまでの経験からわかるのだ。

根拠はないが、私には守られている自信がある。

 

 

****

 

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無になる

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昨日は高見の里へ枝垂桜を見に行った。

 

 

晴れたり曇ったり風が吹いたりだったけど、

山の上は意外と穏やかな天候だった。

ピンクの枝垂れはカーテンのように静かに風に揺れて

幻想的だった。

いい写真がたくさん撮れた。

 

 

丘の上のベンチに腰を降ろし、

桜を見下ろしながら、

コンビニで買ったサラダとコロッケを広げる。

 

 

空には白龍が飛んでいるみたいな筋雲。

申し分のない景色に、しばらく時間が経つのを忘れる。

こういう無になれる時間を大切にしないとなぁ・・

そんなことが頭をよぎる。

 

 

日頃、私は何かしていないと、

そして何かをするなら効率よくやらないと

つい、そういう意識で暮らしている。

 

 

だから、何も考えずのんびり過ごすって、

どうすればいいんだろう・・と

思ってしまう時がある。

 

 

何かしている感覚がないと満足感が得られない

 

子どもの頃にはなかった習慣。

 

 

私は、いつの間にか浸みついたこの習慣を

意識的に忘れようとしている。

 

幸せって、無になることじゃないか・・

そう思い始めたからだ。

 

 

私はたぶん健康だ。

何事も起きない以上、健康診断にも行かないので

確かなことはわからないけど、

特に不具合がないのだから、

自分では健康と思っている。

 

 

丈夫な体に生んでくれた両親と、

病気やケガと無縁でいられる環境

私を守る見えない力に心から感謝する。

私は恵まれていると自覚している。

 

 

 

でも、私の近くには、

心がとっても綺麗なのに

病気に蝕まれている人がいる。

 

 

病気や事故に遭うのは、

必ずしもその人が悪いのではない。

出来事に意味を見出して・・というのもわかるけど

 

正直、世の中には

理由を説明できないことの方が多い。

 

 

ただ、病気や事故を悔やんだところで

時間を過去に戻すことはできず

無情にも前に進んで行くだけだ。

 

 

私たちにできることは、今とこれからを生きるだけ。

 

今できることをやるだけ。

 

それは、なにか大きなことをやるとか

気分がめちゃくちゃ高揚することをやる、

とかではなく

 

もっと静かなこと、

とりとめのない日常、

無になること・・

そんなことではないかと思っている。

 

 

 

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本当は自分に問題があるのに

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友人の紹介で、近々会うことになる人の話。

 

その人とは少しだけLINEでお話した。

 

友人から私のことを聞いて、一度相談したいという趣旨だった。

 

娘について。

 

今の状況が心配で、本当は娘と会ってほしいのだけど、

 

本人は必要ないと拒否するので、代わりに会って

 

どうすれば娘を変えることができるのか

 

相談したいという内容だった。

 

そのときに、娘のことを「社会不適合者」と表現していた。

 

 

 

 

 

結論から言って、

 

娘に働きかけることはできても

 

変えることまではできないと思う。

 

娘の問題は本人にしか解決できないから。

 

 

 

それより、わが子を「社会不適合者」と言ってしまう

 

心の状態が心配になる。

 

そのためにも、会う必要があると感じた。

 

 

 

 

その人が、どんな人なのか

 

紹介してくれた友人の話を聞くうちに

 

わかってきたことがある。

 

 

 

いわゆる「いい人」タイプで

 

人に嫌われるのを恐れ、いつも周りを気にしていること。

 

それなのに、なぜか行く先々で

 

人間関係のトラブルに巻き込まれ

 

今はストレスで体調を崩していること。

 

ただ、味方になってくれる友人だけには心を開き

 

グチの聞き役になってもらっていること。

 

そのグチは始まると止まらなくなり

 

相手の都合も考えられない程、話し込んでしまうこと。

 

 

****

 

 

この状態を「心の病気」とは言わないまでも

 

それに近い印象を受けた。

 

つまり、この時点で手を打たないと

 

本物の心の病気に発展しそうな予感がする。

 

 

 

 

ただ、こういう場合、当の本人に

 

自分は危ない所にいるという認識がない。

 

起きてしまった事柄に反応するだけで

 

自分に原因があるとは思っても見ないのだ。

 

 

 

 

でも、現実的に考えて

 

自分になんの問題もないのに

 

家庭の中でも外でも

 

トラブルが続くなんてことがあるだろうか。

 

 

 

勇気の要ることだけど、状況から見て

 

自分になにか原因があると思った方がいい。

 

 

 

 

周りのせいにせず、自分の中にある問題を探して

 

修正して行った方が、解決が早いと思うのだ。

 

 

 

 

その人の場合なら

 

自己肯定感の低さや、認知の歪みを修正すれば

 

状況は変わって行くと思う。

 

 

 

時間はかかるかもしれないけど

 

本人が変わりたいと思えば

 

人は変わりたい方向へ変わることができる。

 

 

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心のフィルター

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最近ちょっと良いことが続いている。

 

春になって、温かくなり、青空の日が増えて

 

梅や桜、他にもいろんな花が次々に咲いて

 

それを見ているだけで、心がウキウキするからかもしれない。

 

良いことが続いているように感じるのは、

 

悪いことが起きていないから、というのもあるけど、

 

良いところを見ようとするから、そう見えるのもあると思う。

 

 

 

 

私たちには、心のフィルターがある。

 

 

 

目の前で起きていることは同じでも

 

受け取り方や感じ方が、人によって違ったり

 

同じ人でも、その時の気分によって違うのは

 

心のフィルターを通して見ているから。

 

 

 

 

「良いことばかりが起きる」と感じる時は

 

「良い気分」のフィルターを通して物事を見ているからで

 

「悪い気分」のフィルターを通せば

 

悪いことばかりが起きているように感じる。

 

 

 

 

つまり、気持ちさえ安定していれば、

 

ちょっとしたことにも幸せを感じられるし、

 

少々嫌なことが起きていても目をつぶれる。

 

 

 

 

 

ただ、不思議なことに、良いことが続いた後には

 

良くないことが待っているように感じるのだ。

 

たぶん、「良いことばかりが続くはずない」と

 

心のどこかで思ってしまうから、

 

現実もそうなるのではないか。

 

 

 

 

誰も悪いことを期待するわけではないけど、

 

脳がそうやってバランスを取っていると思う。

 

良いことと悪いことは交互に起きる、と

 

脳がバランスを取って、そう感じさせるのだ。

 

 

 

ということは、

 

今起きている現象は、いつもと変わらないのに

 

自分自身が、良い・悪いの判断をしていることになる。

 

 

 

 

もちろん、事故に遭うとか病気になるとか

 

気持ちの問題では解決できないことが起きる場合もある。

 

そんな時はバイオリズムが落ちている、と諦めるしかない。

 

 

 

ただ、そうであっても、

 

なぜ、こうなってしまったのか、考える機会にはなる。

 

原因究明というより、自分の心の根っこに何があったのか

 

見つけるチャンスにするのだ。

 

 

 

凄くつらい時、その感情をどんどん引っ張り出すと

 

ネガティブの向こうに満たされない想いが

 

隠れていることに気づく。

 

 

そこで、その満たされなさを癒すことが出来たら

 

心はまた安定を取り戻す。

 

 

 

すると、不思議なことに、現状もまた好転し始めるのだ。

 

だから、心理は面白い。

 

 

 

 

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SNSで繋がっても

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SNSとは本当に便利なツールだと思う。

 

発信したことが瞬時に日本全国、のみならず

 

世界中の人たちに届くのだから。

 

さらに良いのが「この人面倒だな」と思ったら

 

ブロックや削除ができて

 

リアルの時のようなトラブルに巻き込まれることがない。

 

自分と気の合いそうな人とだけ繋がることができるし

 

都合がいい。

 

 

 

 

私もこの仕事を始めて、いろいろ記事を発信するようになって

 

お友達もたくさんできた。

 

SNSがなかったら、きっと会うことも会話する機会も

 

なかったような人たちと挨拶をしたり、チャットもする。

 

 

 

 

そんなお友達の中に、誠実そうな人がいた。

 

リアルにお会いしたことはないけど、

 

文字のやり取りから律儀さが伝わってきた。

 

「いた」と過去形で書いたのは、その人とのやり取りが

 

昨日で終了してしまったからだ。

 

 

 

 

その人は、以前から腰痛がひどくて、整形外科に通院していた。

 

はっきりとしたことはわからないけど、

 

そのために仕事を縮小したのを知っている。

 

毎日来ていた挨拶やチャットが、時々になり、しばらく来なくなり

 

昨日久しぶりに来たかと思ったら、ついに

 

「しばらくFBとメッセンジャーをお休みします。

 

これまで有難うございました」という文を最後に姿を消した。

 

 

 

 

こんなとき、リアルに会っている友達なら

 

連絡先がわかっていて、その後の様子を聞くこともできるのに

 

SNSのみで繋がっている関係には、それがない。

 

SNS上の情報以外に、その人のことを知らないし

 

なんと言っても、

 

もっとその人のことを知ろう、という気にならないのだ。

 

2年間もやりとりしたのに、あっけない最後だった。

 

もちろん、その人に悪いところはないし

 

SNSの友達なんて、そういうものだと思う。

 

早く良くなられることを心からお祈りしている。

 

 

 

いくら、その人のことを知ったつもりでも

 

実際に会わなければ、知らないのと同じ。

 

SNSは、浅い関係を保ちながら、人と人とを繋ぐツール、

 

そう感じさせられる経験だった。

 

 

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年甲斐もなく

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「年甲斐もなく」という言い方は、あまり好きじゃない。

 

年齢を基準に、その人の可能性を奪うように聞こえるから。

 

「あなたはもういい歳なんだから、そんなことしない方がいい」

 

と、暗に言われているようで気分が悪い。

 

私は、普段そんなこと考えたことがないから、

 

改めてその言葉にドキッとした。

 

 

 

 

 

それを言ったのは私の友人で、私とは同世代だ。

 

彼女には着たい服があったが、そのデザインが若作りに思えるので

 

「この年齢で、年甲斐もなく若い子が着るような服を

 

着るのはおかしくない?」と私に相談してきたのだ。

 

スマホの画面をスクロールして、その気に入った服を見せながら

 

「一応相談してから、買うべきかどうか決めようと思って」と彼女は話した。

 

そこに写っていた服は、シンプルで機能的で、

 

いかにも彼女に似合いそうな色とデザイン。

 

 

 

 

「似合うと思うよ~。これは絶対買うべき」そう言ったら

 

「あ~!やっぱり、相談してよかった」と安心したように笑った。

 

 

 

 

彼女の背中を押せたのは良かったが、

 

「年甲斐もなく」というのが引っかかる。

 

 

日本人には、昔からそういう年齢の縛りがあるのか

 

なんでも年相応がいいとされている。

 

 

でも、年相応って一体誰が決めるの?

 

人それぞれ年齢に対する感覚や歳の取り方

 

似合う服だってひとり一人違うのに、

 

「この年齢ならこの服装」と一括りにするのはどう考えても無理がある。

 

というか、何歳でも着たい服を着ればいいのに。

 

 

 

いい歳だから、この服は似合わないなんて、

 

誰に決める権利があるのだろう。

 

 

 

 

 

不思議なことに、彼女は誰に言われた訳でもなく

 

勝手にそう思い込んでいた。

 

それでも、人が着ているのが素敵に見えたので

 

誰かのお墨付きが欲しかったようだ。

 

私に相談したら、たぶん「大丈夫」と言ってくれそうだから相談したのだ。

 

 

 

 

こんなふうに、見えない誰か、たぶん世間の目を気にして

 

自分の行動に制限をかける人は多い。

 

それでは、まるで世間の為に生きているみたいだ。

 

そんなに気を使った所で、世間が一体なにをしてくれるのだろう。

 

どこまで行っても自己責任だから、自分の為に生きればいいのに。

 

限られた時間を自分の好きなことで埋めていけたらいいと思う。

 

 

 

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約束を守れない人

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感じのいい人なんだけど

 

なんとなく信用できない人がいる。

 

約束を守れない人がそうだ。

 

 

 

 

偉そうなことを言って、自分はどうかと言えば

 

まあ、「そこそこ」は守れている方だと思う。

 

「そこそこ」と言うのは、約束の時間に

 

いつも遅刻するわけではないけど、

 

少しルーズになる時があるから。

 

感覚的に「ここは遅刻できない」という時には

 

定刻より早めに到着するのに、

 

それ以外だと、少し遅れて行くことがある。

 

たぶん、それは自分の中で「これぐらいはいいかな」と

 

思っているから。

 

「この場合は許される」と、相手や状況に甘えているのだ。

 

 

 

 

では、約束をドタキャンするのはどうか。

 

私は、ドタキャンと遅刻とは全然違うと考えている。

 

約束そのものを飛ばせば、

 

楽しみにしている相手をガッカリさせるから

 

極力したくない。

 

守れる自信がない約束なら、初めからしない。

 

 

 

 

でも、ドタキャンを平気で繰り返す人もいる。

 

さっきの話で言うと、相手や状況に甘えているのだ。

 

とりあえず約束しておいて、

 

ギリギリになって気が進まなかったり、

 

他に優先したいことができたら

 

キャンセルしてもいいや・・と考えているようだ。

 

 

 

 

もちろん、咎めたりはしない。

 

止むに止まれぬ事情だってあるから

 

それはお互い様なのだ。

 

ただ、3回約束したら1回はキャンセルみたいなことが

 

常態化すると、その人に対する信用は薄れて行く。

 

「約束は守らなくていい」という約束が

 

その人との間にできたんだと解釈する。

 

 

 

 

そして、そんな相手なら

 

「いい加減でも大丈夫な関係」と割り切って

 

気楽に付き合うことにする。

 

人と人との隙間を埋める1個のピースと思えばいい。

 

自然消滅したっていいんだから。

 

いちいち人の行動に一喜一憂せずマイペースでいる

 

相手によって使うエネルギーを調整するような

 

「省エネな付き合い方」があっていいと思う。

 

 

 

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