逃げるか留まるか

 

長い連休が明けて、会社に戻っていく人たち。

 

その人たちに、出勤がイヤな理由をアンケート調査したところ、

 

仕事がキツイ、満員電車が疲れる・・といった理由を抑えて

 

堂々の一位に輝いたのが「人間関係」だった。

 

 

 

この結果に、やっぱり・・と思う反面、

 

どうして? とも感じている。

 

 

 

・・と、偉そうに言っても

 

私も若い頃は、人間関係に悩まされていた。

 

真面目だっただけに、人に言われたことを

 

まともに受け止め過ぎていたせいだと思う。

 

 

 

当時は、こんな人の傍から早く離れたい・・とか

 

通勤の途中で事故にでもあって、会社が休めたらいいのに・・

 

など、くだらないことばかり考えていた時期があった。

 

でも、その時期をどうやって乗り越えたのか

 

今となっては思い出せない。

 

たぶん、ホンのちょっとしたことがきっかけで

 

吹っ切れたんだと思う。

 

その後すぐには会社を辞めなかったし、

 

それなりに楽しかったことを思い出す。

 

 

 

今でもその人、いや複数いたので、その人達のことを

 

恨んでいるかと言えば、全然そんなことはない。

 

好きもキライもないし、それより

 

学生気分が抜けないフワフワした私を

 

ビシッと鍛えてくれたことに感謝している。

 

 

 

当時、社風がイヤで辞めて行く人たちもいたけど

 

私の中に辞める選択肢はなかった。

 

どうしても負けを認めたくなかったから。

 

今にして思えば、勝ち負けなんてないし、

 

なにを一人相撲していたんだろう・・と可笑しくなるが

 

若かりし頃の私は、そこで生き残るのに必死だったのだ。

 

 

 

いい経験ができた。

 

あれがあったお陰で、私は賢く強くなれたのだから。

 

 

 

 


その職場を離れてからも

 

人間関係の問題は起き続ける。

 

結婚したり、引っ越したり、転職したり

 

生活のシーンが変わる度に新しい人間関係ができ

 

その中にトラブルが生まれた。

 

こちらに悪気はないのに誤解されたり

 

理由もわからず、人から嫌われてしまうことだってあった。

 

 

 

 

意地悪された時には、絶対にこの人を見返してやる!

 

と、闘争心むき出しのこともあった。

 

今にして思えば、なんて幼稚だったんだろう・・

 

と、思うけど、

 

あの悔しさがあったからこそ、実力がついた。

 

 

 

まあ、これまでいろいろあった。

 

こうして、振り返ってみると

 

要所、要所「望ましくない人物」の登場があった時に

 

私は成長してきた。

 

 

 

負けず嫌いで、しぶとく、可愛げのない私が

 

今ここに存在するのは、

 

少なからず、あの人たちのお陰なのだ。

 

 

 

 

幼い頃、母親から

 

出されたものは、好き嫌いしないで何でも食べなさい

 

と、言われて育ったことを思い出す。

 

 

 

私にとっては人間関係も同じだった。

 

置かれた環境の中にキライな人がいても

 

避けて通れないと思ったから

 

それさえも栄養になったのだ。

 

 

 

 

この話が、全ての人に当てはまるとは思わない。

 

ただ、今、人間関係に悩んでいる人の中に

 

留まった方が、成長できる人がいるかもしれない

 

と思い、書いてみた。

 

参考になれば幸いだ。

 

 

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考えたこと


ゴールデンウイークも終わり

 

日常の生活が戻ってきた。

 

ガッカリしている人とホッとしている人。

 

あなたは、どちらだろう。

 

連休とは全く関係のない生活をした人にとっては

 

そのどちらでもないかもしれない。

 

 

 

 

世間一般には、連休明けから五月病が増えると

 

言われている。

 

五月病とは、正式な病名ではない。

 

この時期特有の 新しい環境にうまく適応できず

 

やる気が出なかったり、体調不良になることを

 

そう呼んでいる。

 

そして、こんな時の一番の対処法は、気分転換だ。

 

少々つらいことがあっても、

 

自分の好きなことをしている間は

 

イヤな事を忘れていられるから

 

気持ちを切り替えやすい。

 

 

 

 

私もこれまで、なにかしら悩みがある時には

 

趣味に助けられてきた。

 

テニス・水泳・登山・旅行・ドライブ・読書・・などに

 

没頭する時間があったからこそ

 

どんなに落ち込んでも、気持ちを立て直すことができた。

 

私が、これまで元気で陽気にやって来られたのは

 

趣味があったお陰だし、

 

それが出来る環境にいられたことが

 

有難いと感じている。

 

 

 

 

 

 


その一方で、私は考え事をするのも好きだ。

 

好きすぎて、ちょっとしたことに引っかかり

 

そこから、どんどん深みにはまってしまう。

 

考えても正解がわからなくて、モヤモヤする時には

 

いろいろな本や記事を読み漁ったり

 

YouTubeの動画配信を見たりして、

 

自分にとってしっくりくる答えを探す。

 

 

 

 

今回もそうやって、答えを探したのだが

 

ピンと来るものがなかった。

 

なるほど・・とは思っても、既に知っていることばかりで

 

新しい発見というものがない。

 

期待し過ぎると、よい出逢いはできないものだ。

 

 

 

 

そんなとき、ふと誰かに言われたひと言に

 

心が動いた。

 

期待しないのが良かったのか・・

 

 

 

 

自分では、その人の言葉に背中を押された、と

 

思ったりもするけど

 

実際は、あらかじめ自分の中で用意していた答えと

 

一致したから、すんなり受け入れたんじゃないか。

 

答えは、いつも自分の中にあって、

 

それを見つけるのに、少々手間取ってしまうだけなのだ。

 

納得がいく答えとめぐり合えた時は

 

いつも満たされた気分になれる。

 

 

 

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山が教えてくれたこと

 

 

ゴールデンウイークも、あと一日となった。

 

観光地に人が集まるニュース映像を見て

 

「いつもの連休」が戻ってきたのを感じた。

 

 

 

 

5月は気候もいいし、お出かけには最適だけど、

 

あの人混みや高速道路の渋滞には腰が引ける。

 

休みが分散して取れたら、混雑に巻き込まれず

 

快適に過ごせるのに・・と、いつもながら思う。

 

たぶん、それが出来ないのは

 

休みをバラバラに取ると、学校のカリキュラムが進まないとか

 

諸々な事情があるからだろう。

 

言っても変わらないなら、臨機応変に行動するしかない。

 

 

 

 

何でもそうだが、なかなか変わらないものに対して、

 

根本から変えようと努力するより

 

少しの工夫で、快適に近づける方が簡単だ。

 

 

 

 

今回のゴールデンウイークは、

 

大勢の人出になると予めわかっていたので、

 

観光地でない場所を訪ねてみようと思っていた。

 

その日の天気によって、出かけるか家で過ごすかを決め、

 

朝晴れていたら、ネットで検索して、

 

日帰りできる登山コースか、里山ウオークに出かける。

 

 

 

 

 

 


少し早めに家を出て、途中のコンビニで

 

飲み物と軽食を買い、リュックに詰めて歩き始める。

 

重装備せず、森林浴をしにハイキング・・

 

という気軽さがいい。

 

 

 

 

でも、近場だからと甘く見てはいけない。

 

どんな山でも、山は手強い。

 

900m級であっても、しばらく登ると息は上がるし、

 

膝はだるくなるし、太腿はパンパン。

 

そうやって、なんとか頂上到達することができるのだ。

 

そこで、やれやれと、眼下に広がる景色を見れば

 

それまでの疲れが一気に吹き飛ぶ。

 

あの達成感と爽快感は、他と比べることができないから

 

つらくても懲りずに、また山に来てしまうのだ。

 

 

 

 

 

山の中を歩きながら、ふと思うのは

 

私は無になっている

 

日常のことを完全に忘れてしまっている

 

ということ。

 

 

 

 

簡単に言えば、考える余裕がない。

 

呼吸は荒くなるし、一歩一歩注意して進まないと

 

足を取られて転げ落ちそうになる。

 

大きくなくても、常に危険と隣り合わせだから、

 

気を抜いては歩けない。

 

下界にいながら、そんなふうに考えることがあるだろうか。

 

 

 

 

もし、今悩んでいるなら、山を歩くことをお勧めしたい。

 

美味しい空気と、新緑に癒されるのもそうだけど、

 

それより何より、生きる厳しさを

 

教えてくれるのが私は好きだ。

 

山は私に、悩む余裕を与えてくれない。

 

特に慣れないうちは、疲労と闘いながら

 

自分を守ることで精いっぱいだった。

 

表情を変える自然に翻弄されながら

 

ここで死にたくない、と

 

生に執着する自分に気づかされた。

 

 

 

 

 

これが終わったら温かいお風呂に入りたい、という

 

シンプルな欲望のために歩いたこともあった。

 

そんなシンプルな贅沢を教えてくれたのも山だった。

 

 

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変わらないから安心する

 

私たちは日々アップデイトしている。

 

と、言えば聞こえはいいけど

 

本当は失っているものも、かなりある。

 

 

 

つい何年か前までは、一人一台スマホを持つなんて

 

想像もできない世の中だった。

 

それが今では当たり前。

 

選択的にほしい情報が手に入るようになった。

 

 

 

でも、その代償に失ったものもある。

 

まず、文字が書けなくなった。

 

あんなにスラスラ書けていた漢字。

 

今は読めても、書こうとすると出てこない。

 

パソコンやスマホには変換機能があるので、

 

自分は書けると思い込んでいた。

 

それが、手書きをしようとした途端に

 

書けないことに気づいてショックを受けるのだ。

 

 

 

つい何年か前までは、当たり前に出来ていたことが

 

今は出来ない。

 

出来ることが増えた分、出来ないことも増えていた。

 

仕方のないことだけど、やはり残念に思う。

 

 

 

早いもので、私がFacebookやブログの投稿をはじめて

 

2年半が経とうとする。

 

もうそんなになるんだなぁ、と思うと感慨深い。

 

その間にやめようと思ったことは一度もなくて、

 

それは、私の場合、単に習慣化したら

 

やめ時がわからないからだ。

 

だから、逆にやめて行く人が多いことに驚くのだ。

 

 

 

中には読むのを習慣にしていた人もいた。

 

ページを開いたら、その人の記事があって

 

今日はどんなことを書いているんだろう・・と

 

楽しみにしていたのに。

 

 

 

ある時を境にプッツリと投稿が途絶え

 

その後一切見かけなくなる。

 

そんな人が何人もいた。

 

余計なお世話かもしれないけど

 

続けられなかったことを残念に思う。

 

 

 

なにか続けられない事情があったのか、

 

続けることに意味を感じなくなったのか

 

こちらは知る由もない。

 

 



ただ、読む側も、時間の経過と共に

 

そんな人がいたことすら忘れていく。

 

仕方のないことだと思う。

 

 

 

だからなのか、

 

いつまでも変わらないものを見ると

 

安心感を覚える。

 

長く続く番組、決まり文句、定番料理・・

 

 

 

新しいものや刺激を求める一方で

 

その場に留まりたい気持ちが強く働く。

 

特に年齢を重ねると、

 

普通にしていても老化が進み、退化しているから

 

現状維持を望むのだろう。

 

 

 

進化を続ける、という考え方もいいけど

 

私は、今を大切にする、という考え方が好きだ。

 

 

 

明日何が起きるか、誰にもわからないし

 

明日も大丈夫という保証はないのだから

 

今の幸せをじっくり味わった方がいい。

 

そういう毎日がずっと続けば

 

申し分ない人生になると思う。

 

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振り出しに戻る

 


振り出しに戻った。

 

そんなふうに思える出来事があった。

 

私は、これまで一体なにをしていたんだろう。

 

 

 

 

「経験にムダなし」という言葉が好きだ。

 

確かにそうだ、と思う時もあり、

 

自分の投稿にも、よくそのことを書く。

 

 

 

 

ただ、振り出しに戻ったとき、

 

足元から自信が、ガラガラと音を立てて崩れたとき、

 

その言葉の真偽を疑いたくなる。

 

もし、この経験がムダでないとするならば

 

一体なんのために経験したのか、その答えが知りたい。

 

後から振り返って

 

「あ~、あの時のあの出来事は、この時のためにあったんだ」

 

と、思える日が本当に来るのか。

 

 

 

 

ただ、そんなことを考えている今でも、自分の中で

 

一つだけハッキリしていることがある。

 

それは、落ち込んだ後には、必ずいい事が待っている、

 

ということ。

 

これは、実体験から言える。

 

悪い時もいい時も、そう長くは続かず

 

しかも、必ず交互にやってくる。

 

たとえ、どんなに幸せで

 

この時が永遠に続いてほしいと願っても

 

その感覚を留めることや、引き伸ばすことはできない。

 

私たちの感情の波がそうさせるからだ。

 

 

 

 

目標に向かって歩く。

 

いつか、そこに到達したいと思って歩いている。

 

なかなかそこに辿り着けなくて

 

リタイアしたくなった時でさえ

 

不思議なことに、嬉しいと思えることは必ずある。

 

 

 

 

今回のことは、失敗に終わったかもしれないけど、

 

なにも得られなかった訳ではない。

 

信頼してくれる人の存在を知った。

 

それは、私が真摯に向き合ってきたことへの

 

ご褒美だと思うことにする。

 

こういう時こそ、人の温かさが心に沁みる。

 

 

 

 

今後、どんなことが待っているのかわからないけど、

 

今回の失敗と成功は生かせる気がする。

 

時間が経って落ち着いた今は、

 

やっぱり経験にムダはないのかな、と感じている。

 

落ち込んでばかりも疲れるので、そろそろこの辺で

 

ニュートラルな自分に戻ることにする。

 

 

 

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必ずパターンにはまるとは限らない

 


初夏を思わせる陽気。

 

昼間は半袖が気持ちよく、朝夕は羽織るものがほしい。

 

その時期になって、ようやく

 

部屋の中を冬仕様から夏仕様に変える。

 

ちょっと人より遅いと思うけど、

 

まだ寒い日もあるかもしれないから・・と

 

私は、この辺りは用心深いのだ。

 

片付いた部屋の中を見てホッとすると同時に

 

どっと疲れが出て

 

床に足を伸ばして座り、スマホを開く。

 

 

 

 

イムリーに断捨離の記事が載っている。

 

断捨離提唱者の先生は

 

「断捨離をすることで自己肯定感が上がる」と

 

仰っている。

 

う~ん、そうなのかなぁ・・

 

これは、私にははっきりとはわからない。

 

根拠がはっきりしないことに

 

「そうだ!」と簡単には同意できない。

 

 

 

 

確かに「部屋の片付けができない」という人で

 

自己肯定感がめちゃくちゃ低い人を知っている。

 

でも、部屋の片づけは苦手だけど、

 

自己肯定感だけはとっても高い人も知っている。

 

 

 

 

では、逆に

 

断捨離して部屋がピカピカな人は

 

みんな自己肯定感が高いのだろうか?

 

 

 

 

それを生業にしている人たちは

 

確かに幸せアピールが強い。

 

ピカピカに磨き上げられた部屋の中で

 

「幸せ~」と小躍りしているのを見たことがある。

 

それは本当のところもあるけど

 

宣伝する時のイメージが大切だから

 

ことさらに、そう言っている気がしてならない。

 

 

 

 

片付けはバッチリできていても

 

家庭や仕事でのグチをネタにしている人もいる。

 

自分の不幸を売りに支持を集めている人だ。

 

 

 

 

つまり、片付けしようがしまいが

 

人には両方のタイプがいるのではないか。

 

必ず同じパターンにはめようとするのは無理がある。

 

 

 

 

 

そうは言っても、私はパターン学習には賛成な方で

 

「こうなりたければ、この形から入る」というのが

 

単純明快で好きだ。

 

よく、マーケティングの手法で

 

「これをするだけで、○○になれますよ」

 

というのを見かけるが、

 

正直、魅力的ではある。

 

そんな簡単に、そうなれるんだったら

 

やってみようかな!と思う気持ちは

 

私にだってある。

 

 

 

 

ただ、そう思うのは大抵

 

考えるのを放棄している時だ。

 

考えるのが面倒だから、

 

誰かの言うことに従って

 

ラクに目的地まで連れて行ってもらいたいと

 

思っている。

 

そして、そんな人の心理を突いたマーケティング

 

いつも成功するのだ。

 

そこにケチをつける気は毛頭ない。

 

 

 

 

物事を複雑にとらえたら

 

どんどん複雑になるから

 

できるだけ簡単に考えたいと思う。

 

 

 

 

でも、型にはまらないものもある、と感じている。

 

過去に、パターンにはめようとしたけど

 

うまく行かなかったこともあったし、

 

そう単純でないことを知っている。

 

 

 

 

何かを目指していて

 

その通りにならなくても

 

それはそれでいい。

 

思いがけない所に辿り着いて

 

人生は面白いな、と感じることもある。

 

 

 

 

経験したことにムダはなく、

 

どんな生き方もその人らしさなのだ。

 

 

 

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逃げる場所がある

 


人間関係がどうにもうまく行かない時

 

逃げる場所があるのと無いのとでは全然違う。

 

 

 

相談する相手がいる時はいいけど

 

そばにそんな人がいない時

 

自分一人で抱え込んでしまうと

 

かえって解決が遠のくことがある。

 

 

 

人間関係のいざこざは、人に聞いてもらうだけで

 

かなりスッキリするものだけど、

 

自分一人しかいない時、

 

頭で考えて答えを出そうとすると

 

同じような思考がグルグルめぐって来て

 

決められなくなる。

 

 

 

そういう時、逃げ場を持っている人は強い。

 

そこで、別なことに気を取られているうちに

 

なんとなく答えが浮かんでくることもあるから。

 

 

 

ストレスに弱い人たちは

 

几帳面で真面目な人が多い。

 

それで、真正面から問題と対峙しようとするので

 

グルグル思考の中に入ってしまう。

 

 

 

思考を整理するために書き出して

 

それを読んでみるのは、考えが客観視できていいけど

 

ただ、頭の中でああでもない、こうでもない

 

・・と、ひねり回しても

 

まともな答えには辿り着かない。

 

 

 

そんなことより、

 

全然関係ないことをして、気を紛らわした後や

 

疲れて仮眠した後なんかに

 

ふと用意された答えが出てくるものだ。

 

 

 

真面目が悪いんじゃなくて、

 

適当で柔軟な方が悩みは少ないということだ。

 

 

 

 

 


私はいろんな場所に顔を出す。

 

面白いことに、そこには共通の友人がいない。

 

極端なことを言うと、Aという場所にいる私と

 

Bという場所にいる私が全く別の顔をしていても

 

それに気づく人がいないということだ。

 

もちろん、場所によって別人格を使い分けるような

 

器用なことはしないけど、

 

Aの人はBにいる時の私を知らず、

 

Bの人はAにいる時の私を知らないことが

 

気分転換を容易にさせる。

 

 

 

Aでイヤな事があった時は、Bに行って忘れ

 

Bであったイヤな事は、Aで忘れられるからだ。

 

「あんなイヤな事があったけど、私には別の場所があるから

 

大丈夫!」と、都合よく使い分けることができる。

 

つまり、出入りする場所が多いほど、

 

逃げる場所は多いということで

 

悩みはグッ減る。

 

ぜひ、試してみてほしい。

 

 

 

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