清濁併せ吞む

「清濁併せ吞む」
という言葉があります。
 
 
意味は、
 
心に余裕があり、
善悪の区別をすることなく、
来るがままに受け入れること
 
だそうです。
 
 

わたしが
今まさに
そんな状態です。
 

いっぱしの
心理セラピストとして
 

いろいろな人の
心理を理解したいので
 

メッセンジャーを通して
積極的に
人と関わっています。
 

それが
清濁入り乱れていて
 

消化不良を起こしそうなときも
あるにはあるのですが。。。
 
 

メッセンジャーがなければ
 

いつもの
わたしの生活パターンの中だけでは
 
 
絶対に
知り合うことも
話すことも
なかったような人たちです。
 
 
その人たちと
会話することは
 
 
刺激的であり、
かつ
学びの場になっていると
 
わたしは思っています。
 
 
 
価値観や話の合う人だけを選んで
接するのは居心地がいいし、
 

自分を高めてくれる人なら
申し分ないのですが、
 
 
そうやって
 
 
選り好みばかりしていると
 
 
結局
 
視野が狭くなってしまう、

思ったりするわけです。
 
 

ひとりの人間の中にも
清濁はあると思っていて
 
 
濁の部分を
 
 
完全に払拭して
なかったことにしようとするのも
 
 
無理があると思うのです。
 

よく
 

前向きな文章
標語みたいなメッセージを
書いてくださる方がいますが、
 

わたしは
 

つい
 

毒を吐いている人の文章に
目が行ってしまいます。
 

自分の言いたかったことを
代弁してくれているようで
 

応援したくなって
 
 
コメントで絡んでいったりするのです。
 
 
あんまり
いい人に
なろうとし過ぎないで
 
言いたいことを
言ってる人の方が
 

魅力的に見えたりするのは
 

わたしだけでしょうか?

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