今の私になるまで ~アメリカ滞在編Part1~

奈良県天理市から発信しています。

コアマインド開放

心理セラピストのADOです。

 

 

夫がアメリカに長期出張に出てから

半年が経とうとしていました。

 

その間

子どもたちはとってもお利口でした。

 

お父さんがいないことで

わたしがいつもより

ちょっと緊張しているのが伝わるのか

 

あまり派手に喧嘩したり

大泣きして手が付けられなかったり

お風呂を嫌がったり

夜なかなか寝てくれなかったり

 

というようなことが

ほとんど起こらなかったので

 

4人で暮らしていた時よりは

なんとなく

平和な半年間だったように思います。

 

 

もしかすると

子どもたちが

わたしの手を煩わせないように

 

ちょっと

気遣ってくれていたのかもしれません。

 

 

小さな子どもは

言葉には表せなくても

 

親の心境を

肌で感じることが

できるのではないでしょうか。

 

 

なぜなら

お父さんと暮らしはじめたら

 

またまた

いつも通りの大騒ぎが戻ってきたのですから。

 

 

さて、約束の半年が経ったので

ここで帰国のはずだったのですが

 

現実は

そうはなりませんでした。

 

 

出張の任期終了後

改めて

アメリカ駐在の辞令が降りたのです。

 

駐在となると

最低2年はそこに住むことになるので

 

当然今度は

家族も一緒ということになります。

 

えっ⁉

言葉も文化もわからない

頼る人もいない外国に

小さな子ども二人を連れて移住するの?

 

と、わたしの反応は

 

家族でまた一緒に暮らせて 

嬉しいというより

 

環境を変えることに対する

抵抗感の方が強かったのです。

 

 

せっかく

言葉の遅かった長男が

幼稚園にも慣れて

機嫌よく通っているのに

 

ここでまた環境を変えたら

 

それも

言葉のわからない状況の中に入れたら

 

一体どうなってしまうのか

という心配が強かったからです。

 

 

とはいっても

 

これ以上

家族がバラバラに住むのは

やはり嫌でした。

 

だから

ちょっと後ろ髪を引かれながら

米国カリフォルニアへと旅立ったのです。

 

 

1998年4月

長男6歳、次男4歳の春でした。

 

ここから

二人が13歳と11歳になるまで

 

7年にわたるカリフォルニアでの暮らしが

始まるのです。

 

 

こんなふうにして

 

こちらの予期せぬことが起きてしまうのが

人生です。

 

わたしも当時は

家族にとって

 

アメリカで暮らすことが

いいことなのか

そうでないのか

見当もつかず

 

 

というよりは

むしろ

不安の方が大きかったのですが

 

今にして思えば

 

クヨクヨ考えてみても

何も始まらないということです。

 

 

その体験を

いいものにするか

しないかは

 

結局

その人の気持ち次第で

決まるのだと

 

7年間の滞在を終えて

気づくからです。

 

 

さて、

滞在中にどんなことがあったのかは

次回のお話に続きます。

 

本日はここまで。

最後まで読んでくださり

ありがとうございました。

 

次回のご訪問もお待ちしています^^

 

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 [豊田1]