約束を守れない人

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感じのいい人なんだけど

 

なんとなく信用できない人がいる。

 

約束を守れない人がそうだ。

 

 

 

 

偉そうなことを言って、自分はどうかと言えば

 

まあ、「そこそこ」は守れている方だと思う。

 

「そこそこ」と言うのは、約束の時間に

 

いつも遅刻するわけではないけど、

 

少しルーズになる時があるから。

 

感覚的に「ここは遅刻できない」という時には

 

定刻より早めに到着するのに、

 

それ以外だと、少し遅れて行くことがある。

 

たぶん、それは自分の中で「これぐらいはいいかな」と

 

思っているから。

 

「この場合は許される」と、相手や状況に甘えているのだ。

 

 

 

 

では、約束をドタキャンするのはどうか。

 

私は、ドタキャンと遅刻とは全然違うと考えている。

 

約束そのものを飛ばせば、

 

楽しみにしている相手をガッカリさせるから

 

極力したくない。

 

守れる自信がない約束なら、初めからしない。

 

 

 

 

でも、ドタキャンを平気で繰り返す人もいる。

 

さっきの話で言うと、相手や状況に甘えているのだ。

 

とりあえず約束しておいて、

 

ギリギリになって気が進まなかったり、

 

他に優先したいことができたら

 

キャンセルしてもいいや・・と考えているようだ。

 

 

 

 

もちろん、咎めたりはしない。

 

止むに止まれぬ事情だってあるから

 

それはお互い様なのだ。

 

ただ、3回約束したら1回はキャンセルみたいなことが

 

常態化すると、その人に対する信用は薄れて行く。

 

「約束は守らなくていい」という約束が

 

その人との間にできたんだと解釈する。

 

 

 

 

そして、そんな相手なら

 

「いい加減でも大丈夫な関係」と割り切って

 

気楽に付き合うことにする。

 

人と人との隙間を埋める1個のピースと思えばいい。

 

自然消滅したっていいんだから。

 

いちいち人の行動に一喜一憂せずマイペースでいる

 

相手によって使うエネルギーを調整するような

 

「省エネな付き合い方」があっていいと思う。

 

 

 

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自分の成長

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自分が成長したと感じるのは、どんな時だろう。

 

それは、やはり人間関係の中だと思う。

 

以前なら、言われて腹が立ったことが

 

気にならなくなったり、

 

前は、よく理解できなかった感情に

 

今はしみじみ共感出来たり

 

それらはみんな、経験や場数を踏むことで

 

自然と身についていくものだ。

 

 

 

 

それと、どれだけ濃い人間関係を経験したかにもよる。

 

感情の通い合いや衝突がなければ、

 

自分が変わる必要もないのだから。

 

 

 

 

恋愛・結婚・子育て・その他でも

 

1対1の関係を通して育まれるものがある。

 

 

 

 

その人が現れるまでは

 

世界は自分中心に回っていた。

 

嬉しいこと、悲しいこと、すべてが自分自身についてだった。

 

それがいきなり、その人中心の世界に変わる。

 

その人のことを考えると、食欲を忘れたり、

 

眠れないぐらい悩むことがあったり

 

心のどこかにいつもその人が存在する状態。

 

自分に向いていた関心が、他人へと変わる

 

この変化は、シンプルに成長だと思う。

 

 

 

 

それと同時に、自分を苦しめるのが

 

束縛したくなる気持ち。

 

相手を大切に想うほど、自分の中に膨らんでいく。

 

自分の思い通りになってくれないと、不安になるのだ。

 

 

 

 

恋愛でも子育てでも、それは同じで

 

お互いの為、この子の為と言いながら、

 

束縛がエスカレートし、相手の自由を奪う。

 

お互いの仲は、どんどんうまく行かなくなって

 

美しかったはずの関係が、いつの間にかドロドロに。

 

 

 

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でも、大丈夫。

 

こうなってしまってからでも修復は可能だ。

 

 

自分のエゴに気づくことができたら。

 

 

 

ただ、気づくのが遅い程、関係に傷が残りやすいので

 

早く気づいて、手を打つことが重要だ。

 

 

 

 

手を打つとは、つまり、自分自身が変わる以外にない。

 

 

相手にばかり向いていた関心を自分の方に戻すのだ。

 

 

 

 

そのためには、まず、

 

 

自分が何を感じ、どう苦しいかに目を向ける。

 

感情には蓋をせず、ネガティブな気持ちを全部吐き出して、

 

それらを一旦受け入れる。

 

 

ここまでが、自分が変わるための一歩だ。

 

 

 

 

 

次に、自分が喜ぶこと。楽しくなることを探し

 

実践してみる。

 

 

そうやって、自分への関心を取り戻す。

 

それが自然にできるようになったら、心に余裕が出来て、

 

相手の自由も認められるようになるのだ。

 

この段階まで来ることが、本当の意味での成長だと思う。

 

 

 

 

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悩んだっていい

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グルグル同じところを考えてしまうクセ。

 

これは一般的に、疲弊するだけで問題解決には遠いので

 

「するな」と言われる行為だ。

 

私も心理セラピストとして、悩める人のために

 

グルグル思考をしないための提案をたくさんしてきた。

 

 

 

簡単に言えば、

 

問題を複雑にしないでシンプルに捉える。

 

自分に出来ないことを悩まない。

 

・・などは鉄板だ。

 

 

 

 

ところが、昨日ある投稿を読んでいて目からうろこが落ちた。

 

その人はまだ30代と思われる女性だけど、

 

昔から悩む性分で、これからも悩むことを否定しないと

 

宣言するのだ。

 

小さい時から、人の考え方や行動を

 

いちいち掘り下げるので、問題が複雑になり悩みがち。

 

周りと比べて、そんな一風変わった自分を変だと思い

 

否定したり、変わろうと努力してみたけど

 

思い通りに行かなかった。

 

そのため学校でも社会に出てからも

 

人間関係につまずき孤立することも度々だった。

 

でも、変わろうと努力しても、しなくても

 

 

 

どうせ悩むのだから、

 

これからは、開き直って積極的に悩むことを選択したい

 

 

 

そう言うのだ。

 

自分に「悩む人間でいることを許可した」と表現していた。

 

少数派の考え方だけど、凄くいいと思った。

 

きっと、私も同じタイプの人間だから。

 

 

 

 

いつでも誰に対しても、という訳ではないけど、

 

たまに人の言動に引っかかることがある。

 

一度そうなったら、そのことばかりが気になって

 

振り払っても、別のことで気を紛らわしても、

 

気づいたら、またそのことを考えている。

 

鬱陶しいと言えば、鬱陶しい。

 

 

 

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ただ、悶々としながら、それを楽しむもう一人の自分がいるのに

 

気づいた。

 

 

 

悩む時間を楽しむ自分。

 

それは、投稿になにを書こうか考えている時に似て

 

苦痛を伴う楽しさだ。

 

全然ハッピーじゃないのにやめられない。

 

自分から沼にハマりに行こうとする。

 

でも、しばらくそうやってハマっていたら、

 

どういうわけか、それにも飽きてくる。

 

つまり、一定時間ハマったら満足して、

 

自然に考えなくなるのだ。

 

 

 

 

どうしても悩みたくない人にとって

 

この過程はつらいと思う。

 

でも、私やここに出てくる彼女のように、

 

自分からハマりに行くような物好きならば、

 

この時間は悪くない。

 

 

 

むしろ、ああでもない、こうでもないと考えるうちに

 

自分と他人はどのように違い、

 

自分が一体どういう人間なのか、わかるのがいい。

 

 

 

退屈な日常のいい刺激になるし、

 

こんな時間はあっていい、とさえ思う。

 

どうせ、しばらくすると飽きてしまい、

 

そう長くは続かないのだから。

 

 

 

 

悩みの真っ只中にいる時は、凄く長く感じるけど、

 

冷静に考えて、一つの悩みにつき4~5日持ったらいいところ。

 

3日で終わるときもある。

 

だから、悩みなんて生活のスパイスみたいなものだ。

 

 

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新しい景色

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人それぞれ顔が違うように

 

歩んできた人生も違う。

 

同じく、クライアントさんが抱える事情もそれぞれで

 

いろいろあって今に至る。

 

 

 

 

 

私を選んでくださるのは、これからの人生を

 

より良く生きたいと願う時。

 

人に話を聞いてもらおうと思えるだけの

 

心の余裕が出てきた時とも言える。

 

 

 

 

 

本当に苦しく、どん底にいる時には

 

話を聞いてもらおう、という発想もないのだ。

 

出口の見えない真っ暗なトンネルの中に

 

たった一人でいたら

 

周りの存在にさえ気づかない。

 

トンネルの向こうに薄明かりが見えて

 

ようやく、ここから出ようともがくことが出来る。

 

たぶん、私はそんな時に出会わせてもらっている。

 

 

 

 

 

その人のことがだんだんわかってくると

 

自分と重ね合わせることがある。

 

もちろん、人ひとりの経験値などたかが知れているから

 

それと同じ経験を持っているわけではない。

 

 

 

 

 

ただ、その人の話を聞くうちに、

 

自分も同じ世界に入って

 

同じ景色を見ている気持ちになるのだ。

 

そうなって初めて、その人の力になれる。

 

 

 

 

今ある悩みを軽くしたり、解決のお手伝いがしたいから

 

私は、日々ノウハウを吸収し続けている。

 

それは、クライアントさんにとっても

 

私にとっても必要なことだ。

 

ただし、ノウハウというものが

 

万人に効くと思ってはいけない。

 

 

 

 

 

答えは人それぞれ違っていて

 

よく探せば、その人の中にあるものだから。

 

その答えを一緒に探すのが私の仕事。

 

その人と一緒に、新しい景色を見られることが

 

達成感であり、私の幸せでもある。

 

 

 

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どんよりな一日

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今日は、最近の中ではかなり「どんよりな一日」だった。

 

といっても、ケガをしたとか、病気になったとか

 

車で事故を起こした・・とか

 

そういうわけではない。

 

 

 

 

ただ、気分がどんよりしたまま、一日を過ごしてしまった

 

というだけ。

 

 

 

気分は自分で選択するものだから、当然誰のせいでもない。

 

きっと私自身が、今日をちょっと落ち込む日に

 

したかったからに違いない。

 

 

 

どんよりのきっかけは、ちょっとした失敗に始まり

 

そこから、良くない流れへと発展する。

 

 

 

失敗とは、テニスに行こうとして、

 

スポーツドリンクを入れたボトルの蓋を閉め忘れ、

 

そのままカバンに入れたこと。

 

 

 

中身がこぼれてカバンの中はグチャグチャ。

 

キッチンの床や玄関の三和土までベタベタになり、

 

持ち物は水没し、その後片づけに手間取って

 

約束の時間に間に合わず、若干遅刻してしまう。

 

みんな揃った所に入って行く時の

 

あの、なんとも言えない冷たい空気に気圧されて

 

リズムに乗り切れず、ミスを連発、調子が出ない。

 

思うように動けず、汗もあまりかかないまま時間が来て

 

駐車スペースを空けるために、そそくさとコートを後にした。

 

 

 

家に帰り着けば、後片付けの続きが待っている。

 

玄関に水を撒き、床を何度も拭いたけど

 

ベタベタはなかなか取れず・・ここで初めて汗をかく。

 

 

 

でも、そのおかげと言うか、キッチンの床はきれいになった。

 

そう考えると、悪い事ばかりでもない。

 

なんとなく疲労感に襲われて、晩ごはんを作る気になれず、

 

スーパーに総菜を買いに行き、晩ごはんのおかずにした。

 

簡単に美味しく済ませられたことだし、

 

これはこれで、良かったと思う。

 

 

 

こうして差し引きすると、そう悪い日でもなかったようだ。

 

 

 

 

それなのに、どんよりと感じた理由を考えてみたら

 

夕べから、私はうっすら機嫌が悪いことに気づいた。

 

ちょっとした感情の行き違いから

 

気分がささくれ立っていたのだ。

 

それに気を取られたから、初めの失敗をやらかし、

 

その後のことへと連鎖していった。

 

 

 

人間だもの。そんなときもあるさ。

 

一晩寝たら、明日はきっといい日なっているはず。

 

 

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理想と現実

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たまたまネットを見ていたら、

 

「付き合う時の理想の男性像」について

 

書かれた記事が目に入った。

 

 

 

それによると、当然と言えば当然だが、

 

外見の良さに惑わされず

 

女性を大切にする男性を選ぶように、とあった。

 

大切にするとは、どういうことなのか・・

 

 

 

一つ目は、記念日・誕生日を忘れずにちゃんと祝う。

 

サプライズで何かをしてくれたら尚良くて、

 

それは、相手の喜ぶ顔が見たくてそうするので、

 

つまり、相手の喜びを自分の喜びに感じるから、

 

そういう人は、必ずあなたを大切にする、というわけだ。

 

 

 

二つ目は、何かで意見が対立した時にも

 

あなたの考えを尊重してくれる人。

 

それは、言いなりになる、という意味ではなく、

 

たとえ自分と意見が違っても、相手の話を聞いて、

 

合わせる所は合わせてくれるという意味。

 

 

 

他にもいろいろあったが、もう忘れてしまった。

 

印象としては、なんだか現実味を伴わない条件ばかり

 

書いてあった気がする。

 

 

 

私の勝手な想像だが、実体験から書いたというより

 

「こんな人が居たら理想」と筆者が思う条件を

 

ただ書き連ねた・・そんな印象だ。

 

つまり、ここに出てくる理想の男性像は

 

「想像上の生きもの」なのだと思う。

 

 

 

せっかくだけど、そんな人とうまく巡り会えても、

 

実際に好きになるかは、別の話だと言いたい。

 

条件だけで、人を好きになれるほど、

 

現実は単純ではないからだ。

 

 

 

たとえば、外見が気に入って付き合った相手でも

 

一緒にいるうちに、どこか容姿の欠点を

 

見つけてしまうことがある。

 

それもそのはず、完璧な人はいないのだから

 

相手だって同じことを感じているはずだ。

 

 

 

そういうことで、どの道イヤな所を見つけるなら、

 

条件に縛られる必要はない。

 

 

 

難しく考えないで、好きになったら付き合ってみて

 

合わない所があれば話し合う。

 

お互い譲歩できるポイントが見つかるまで、

 

話し合うことでしか溝は埋まらないのだから。

 

 

 

その時も、相手を完璧に自分の色に染めようと

 

考えない方がいい。

 

 

 

お互いが相手の色に少し染まってあげるぐらいの

 

思いやりがなければ

 

無駄な衝突が増えるだけだ。

 

 

 

それぞれの色が混ざり合い、

 

新しい色の世界を作っていくことでしか

 

全然違う人間同士が、

 

長く一緒にいるなんて不可能なのだ。

 

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独裁者の胸の内

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私は独裁者になったことがないから

 

なぜこんな行動に出るのか、わかるはずもないし、

 

理解しようとも思わないけど、

 

一つ言えるのは、この先孤立を深めるだろう、ということ。

 

 

 

 

仕方がない。なるべくして、なったのだから。

 

 

 

 

それにしても、なぜ独裁者となったのか。

 

 

 

 

なんの力もない一人の人間が、

 

望んだものが、何でも手に入るような力を持つことは快感だ。

 

それが当たり前になると、今度は手段を択ばなくなる。

 

 

 

 

「間違った方向だ」と、指摘する人間は放っておかない。

 

簡単に排除し、その残忍さを見せつけることで

 

周囲にものを言わせなくする。

 

従順で、都合のいい事しか言わない人間だけを集め

 

自分の帝国をつくるのだ。

 

 

 

 

耳障りの良いことしか聞こえて来ないのは、

 

周りに愛されているからではない。

 

自分の身に危険が及ぶのを避けているだけだ。

 

独裁者だけが、自分は正しいと信じ、

 

周りの心は離れてしまっている。

 

 

 

 

さらに勢力を拡大しようとすれば、抵抗勢力に出遭う。

 

自分より弱い相手なら、何が何でも服従させたい。

 

当然、初めは簡単にねじ伏せられると思った。

 

ところが、意外に相手の反発力は強く、

 

もともと戦意のない部下は、期待したほどの働きをしない。

 

 

 

 

思い通り制圧できない。

 

焦りを感じた独裁者は、さらに非人道的な行動に出る。

 

それは醜態としか言いようがない。

 

周囲は呆れ、軽蔑し、孤立はますます深まるのだ。

 

 

 

 

独裁者は、今そのシナリオの中にいる。

 

ストーリーの結末はわからないが、

 

おそらく、独裁者のためのハッピーエンドはない。

 

味方がいなくなって、足元から崩壊して行く可能性は否定できない。

 

・・・

 

歴史は繰り返されている。

 

なぜ、科学は進歩するのに、

 

人の精神は成長しないのだろう。

 

 

 

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